香川 七海

こどもコミュニケーション学科 助教
修士(教育学)

2025年度まで、社会福祉法人福音寮の施設にて勤務をしていました。それ以前は、日本大学法学部で専任教員を務めていました。これまで、篠原保育医療情報専門学校、東京工学院専門学校、近畿大学豊岡短期大学、姫路大学、専修大学、中央大学、青山学院大学、学習院大学などで非常勤講師として授業を担当してきました。

研究分野:教育学
専門分野:教育社会学


教育学は人間の「教え」と「育ち」のプロセスを考察する学問です。一般的に、教育学というと、学校などの教育施設を分析の対象とする学問と思われがちですが、実際はそうではありません。人類の歴史において、学校が登場し、人々の「教え」や「育ち」を担った期間は、わずかなものに過ぎません。学校の枠組みにとらわれず、様々な場所で生まれる「教え」と「育ち」のプロセスを網羅し、研究対象とするのが教育学という学問です。

専門分野の魅力・学ぶ上で大事なこと


私のこれまでの経験では、学校や家庭で「生きづらさ」や違和感(や理不尽さに対する怒り)を持ち続けた記憶や思いが強い学生の方ほど、卒業論文やレポートがスラスラ書ける傾向があるように思います。思いの強さや使命感が、保育職・教職へのモチベーションや学習・研究意欲につながるのでしょう。

研究テーマ


人間の「教え」と「育ち」の複雑さについて、多様な角度から研究しています。研究の背景には、次のような動機があります。

①小学校時代:平和教育が盛んで、演劇や映像資料の視聴などを通して、戦争の悲惨さを学ぼうとする教育実践が在学中に繰り返されていました。小学校5年生くらいのときに、「このような教育実践を全世界に普及させれば、世界中の人が戦争をしなくなる日が来るのかな」と思いましたが、それは、どこか無理がある気がしました。この問題は、「教え」と「育ち」の限界性に関する私の問題関心の根源です。いろいろ学んだ結果、“なにかを教えれば、その通りに思想や言動が変わる”というほど、人間は単純な存在ではないことがわかりました。「教え」にも「育ち」にも限界性はあります。

②高校時代:行事の際に、5分前集合でもいいはずが(集合時間前なので)、10分前に9割の生徒が体育館に集まったら、先生は話を始めて、5分前に集合した生徒が全員の前で「遅いぞ」と怒られました。警戒した生徒たちは、次からは15分前に集合をしましたが、今度は10分前に集合した生徒たちが、やはり怒られました。いよいよ恐怖に突き動かされた生徒たちは、さらに早く集合するようになり、最終的には集合時間の30~40分前に生徒が集まるという事態になりました。私が不思議に思ったのは、自分自身を含めて、多くの生徒や教員が、それを「どこかおかしい」と考えながらも、このことを抗議することができず、結局、全員が指示に従うほかなかったということです。この問題は、主体性や市民性を育む「教え」と「育ち」の重要性に関する私の問題関心の根源です。組織体や集団のメンバーのうち、9割の人が心のなかで反対をしていたとしても、1割(か、それ未満)の決定がまかり通るということが、人間社会のなかでは高確率で起こりえます(専制主義)。そうした事態を避けるために、市民は主体的で自立した思考を持つ人間になる必要があります(民主主義社会の基礎)。それを実現することが現代社会の「教え」と「育ち」の使命です。

最近の研究活動


(過去に執筆した論文等のテーマです)

・学校給食における完食指導の暴力性(味覚嫌悪・アレルギー・会食恐怖症・ヴィーガン・宗教などと給食の関係について)
・中世ヨーロッパにおける気候変動と子ども像の変容
・女子大学生の月経随伴症状(月経痛など)に関するピル服用と母親の影響
・若年女性の容姿と「生きづらさ」
・ナチス政権下のホロコーストと“普通の”ドイツ国民のメンタリティ
・LGBTQ+当事者と差別問題
・科学教育(理科教育)と民主主義(デモクラシー)の関係
・知的障害児教育における算数・数学教育実践の歴史
・第二次世界大戦後初期の社会科教育(歴史教育)と記紀神話
・国語教育のなかの漢字教育の歴史
・テレビドラマ『鈴木先生』(テレビ東京)の映像分析
・映画『メリー・ポピンズ』(ウォルト・ディズニー・ピクチャーズ)における家族像

担当科目


教育学概論(初等)、教育・保育課程論、人間関係の指導法、こどもコミュニケーション論、保育実習IA、保育実習IB、保育実習指導IA、保育実習指導IB、保育実習II、保育実習指導II、保育実習III、保育実習指導III、教育実習(幼稚園)、教育実習事前・事後指導(幼稚園)、学校インターンシップ実習I