海外専門研修
文化人類学・ソウル専門研修

体験レポート

2014 年度 ソウル文化人類学専門研修体験レポート


文化人類学的な見る目をパワーアップ 【現代社会学科 永名 千尋さん】

現地の人の生活を真似ることの大切さ
この研修は、観光バスに揺られて降ろされて見て終わりではない。ただ観光地を見て終わりという旅行だと、そこに行ったという達成感はあるが、それで終りである。残るものといえば写真とお土産話程度である。現地の人はどう行動し、どう考え、日本とはどう違っているのか、などということまで考える人は少ない。
人と文化を知るためには、そこにいる人々の生活を真似してみることが大切だった。具体的に述べると、韓国の人々が普段使っている交通手段を用い、街を自分の足でひたすらに歩いてみること。観光客向けの土産店に連れて行かれるのではなく、自分で、現地の人が行く店で買い物をし、現地の人が集まる店で、どのような味かわからないような物も食べたり飲んだりすること。これらを実践することにより、表しかわからない観光旅行との差が大きくなってくるということがわかった。

地下鉄の駅で
ソウルの人々の日常的な交通手段である地下鉄で、毎日移動した。ところがソウルの地下鉄のホームは、日本のように 1 番線、 2 番線という番号が付いていないため、終点の駅名を覚えておいて、ホームがどこか、ホームのどちら側から乗るのかを探さねばならない。外国の地名は覚えるのが大変だから、これは実に難しい。
他方で、ホームには、日本では珍しい、天井まで完全に遮断したホームドアがあるとか、サムスンのタッチ式案内板が設置されているとか、安全で楽にスムースに移動できるようになっているのを見て、違いを考えさせられた。
駅のトイレが、車いす用でも男女別に分かれているのも意外だったが、驚いたのはナプキンの自販機だ。日本では女子トイレの中に、目立たない色の自販機がぽつんと置かれているだけだが、ソウルでは堂々とトイレの外の青い自販機で販売されていた。初めて見た時は、青いのでお菓子の販売機だと思ったのでとても驚いた。これもまたずいぶんストレートな文化だ。

コンビニで
ソウルにもコンビニが東京と同じくらいたくさんあって、多くの人が買い物に行く。そこで、韓国の食べ物について知るために、面白そうなものを買って食べてみた。
日本と同じセブンイレブンもあったが、品揃えに違いがあり、おにぎりはあったが、菓子パンの方が多かったり、大きくて太いサラミなど肉のパッキングされたものがかなりの面積を占めていたりした。飲み物類は砂糖が多いのか、フルーツ牛乳やコーヒー牛乳は甘く感じた。初日に買ったはちみつ入りのパンがとてつもなく甘かったため、その後自分の舌に合うのを探すのが大変だった。パイチュウに似たお菓子はとてもすっぱかった。
レストラン、居酒屋にも入ったのだが、メニューにはキムチや赤く辛い調味料が使われ、とても酸っぱいスープが付いていた。
こうして 4 日間食べ歩いたが、極端に甘い、辛い、酸っぱいものが多かった。このような料理ばかりだと日本食が食べたくなる自分は、やはり日本人だなあと感じたのだが、こうしたストレートな料理の味も、ストレートに感情表現する民族の文化だからなのだろう。

市場で
東京と違って、ソウルには市場がたくさんあり、賑わっている。市場に行くと、肉の匂いが充満していた。特に楽園市場の匂いは強烈で、豚の頭や、鳥1羽が台の上にまるまる置いてある店があった。日本では加工して、パックした肉しか見かけない。あるとしても肉屋でブロック状の牛・豚肉があるくらいである。加工してある肉を見るとただの食べ物としか見ないが、形が残っているのを見ると、生き物だと思ってしまうため、怖い。ソウルの市場に来る人、加工する人はいつもそれを見ているのだ。
日本人はそのままを見る機会が少なくなっているが、食べ残しが多い現代の日本人が“ありのままの”姿を見て命をもらっていることを実感するためには、こんなストレートな市場があってもいいのではないかと考えた。


見る目の大切さ【現代社会学科 平下 僚介さん】

日本を外から見る目
日本を客観的に見るといっても、日本の中では、なかなかできるわけではない。身の回りのことが当たりまえになってしまっているからだ。今回のように海外に行き、そこの人々、生活を肌で感じてみて、初めて日本を外側から考えることができた。やはり、客観的に物事を考える場合は、一度自分が外側に出ることが重要なのだということがよくわかった。いくら客観的に考えようとしても、内側から見たのでは、外側からの客観視には及ばず、発見には限界がある、ということが実感として理解できた。

韓国人の目で見る
日本支配時代に、抵抗した人々を収容した刑務所が博物館になっており、先生に引率された幼稚園児が見学しているのに出会った。植民地支配の歴史を幼稚園から学ばせているのだから、日本の事はあまり良くは思われていない。
しかし、韓国人の目で歴史を振り返ってみれば、これも無理もないと感じた。私たちは韓国人が日本のことを嫌っていることに反発しているが、「なぜ嫌いになったか」を理解するには、やはり向こうの立場に立って考える必要がある。
今回韓国に行き、実際にそこの人々、生活、文化、教育などを肌で感じることがいかに大切かを学んだ。実際に自分の目で、向こうの立場から見てみなければ、100%の理解はできないのだ。

知っているから見える
私はソウルで虫の鳴き声に気づいて注目した。これは虫の声の聴き方の文化に関する文化人類学の講義を受けていたからだ。講義を受けていなければ、知らなかったら、見向きもせず、気にすることもなかったことだと思う。
実は、ソウルの虫の鳴き声は東京とまったく同じということを発見したのだが、自然環境は東京と大して変わらないということだ。そしてそこにヒトが暮らしていることも変わらない。
しかし、文化は違う。ヒトというのは、同じような自然環境でも、異なった文化を注入されれば、違う人間になる。人間は生きていくために文化を作ったものの、その文化に支配され過ぎ、今では文化によって苦しめられているのかもしれない。
虫の声に注目したおかげで、人間とは理解しようとすればするほど不思議な生き物なのだと実感することができたのだ。