Hiroo Saga (1993) Ginga,
No.2
佐賀啓男
しかしながら、そのようなへだたりを越えて気にかかるのは、たとえば次のようなぼたんの句である。なお、この句の舞台を牡丹園だとする見方が一般的であるが、私はそれを室内でのできごとに見立ててみる。
寂として客の絶間のぼたん哉
句会でもあったあとだろうか、あるいはそれはどのような人物たちでも、たったひとりの人でもよいような気もするが、その客を見送ってややほっとしたところを部屋にもどり、その片隅をふと見やると、さきほどからそこにあったはずのぼたんがまさにぼたんそのものと化して浮かび上がるようにそこにある。今しがたまで部屋にあった人の気配はすっと消えてゆき、あたりは寂として、明るくもなく暗くもなくそのおぼろげなる空気に照らし出されるように、ぼたんは立ち現われている。至福でもあり深く哀しくもあるようなたいくつが、長い一瞬のように身をつつむ。一瞬といえどもその空間には、詩人としての、あるいはハイデガー的な現存在である人間にとっての、離俗の時間がまるで永遠につながるように生起する。
これは私には、存在は隠れつつ、かつ現われ、現われつつ、かつ隠れるというハイデガーの思考を髣髴とさせる。そして、あるものがないということによって、そのものがあるということとの間に詩的イメージを交差させる句法は、とくに蕪村の佳句の多くにおいて著しい傾向である。いいかえれば、蕪村句における否定辞あるいは否定的含意をもったことばの絶妙の使い方によって、ハイデガー流の存在の顕現がそのような句において、いわば<句>をその顕現の場所とすることによって生起するとまで思われるのである。その否定辞とは、先のぼたんの句では「絶間、たえま」であり、さらにそのようなハイデガー的風景を典型的に現わしているもうひとつのぼたん句は、『ちりて後おもかげにたつぼたん哉』である。ここでは、目に見える事象への否定的態度をもつ「ちりて」「のち」「おもかげ」が連続して使われている。「写生」の句ではまったくない。さらに、蕪村における否定辞の使用がもっとあからさまないくつかの例を、手元の句集からややなおざりに拾いあげてみよう。
春の水山なき国を流れけり
橋なくて日暮れんとする春の水
菜の花や鯨もよらず海暮ぬ
高麗舟のよらで過ゆく霞かな
落合うて音なくなれる清水哉
路たえて香にせまり咲いばらかな
身にしむや亡妻の櫛を閨に踏
水鳥も見えぬ江わたる寒さ哉
「山なき国」や「橋なくて」は山や橋があることを踏まえながらそれらがないのであり、「鯨もよらず」や「高麗舟のよらで過ゆく」はそれらが近くに寄ることがあることを前もって想像している。「音なくなれる」は音があること、「路たえて」は路があること、「亡妻、なきつま」は妻があること、「水鳥も見えぬ」はそれが見えることをすでに含んでいるのである。はじめの「山なき国」の句では、春の水、と句を起こして濃密な気分を喚起しながら山無きと受ければ、その陰画が脳裏にめまいを起こさせるような効果をもって四方に延びる広大な地平を現わしてくる。その中央を流れる河のめぐりには家々も田畑も散在していることであろう。詩人の視点はここで、春の水に近いところにあるとも、それらを見渡すことのできる中空にあるとも想像される。そのゆれ動く視線の間で、もうあたり一面包まれるように、春が春そのものとしての濃密さでただよっている。
もうひとつ、「橋なくて」の句では、句の立ち上がりにはやくも否定辞が使われている。ここで、詩人、あるいはその視線は川の堤を歩いているのであろう。そこに橋は見えず、春の日は暮れようとしている。ただ、暮れようとしてまだ暮れない水の上に、あるいは詩人のなかに橋の影だけはあるのかもしれない。「なくて」が「暮れる」とひそかに響きあっている。そして水は影を映す。さらにその影は、帰るべきどこかにいたる路が閉ざされていることも暗示している。蕪村の<ない>は、何層においても<ない>なのである。水が映しているのは心の翳り、故郷喪失者の心の影でもあろう。そして、「路たえて」こそ、いばらはいばらとして香りせまってくるのであり、故郷を失っている者こそ、より痛切に存在を歌わざるを得ないのである。
あるものがあることとそのものがないことが同時に成立するこのような風景は、その場所から永遠の方へと時間がつながる空間の裂け目でもある。ここで、「身にしむや」の句について蛇足をくわえれば、妻の妻たるゆえんのものは、むしろその妻がないということにおいてより切実に立ち現われてくる。ちなみに、この句を吟じたときに蕪村の細君は生きていたのだから、たしかにこれも「写生」の句ではない。蕪村は<ない>と<ある>とを同時に写している。ないこととあることが交差するところに存在の裂け目は生じるのだろう。「路がたえた」その場所でこそ、いばらの香と姿は全身にせまってくる。より人口に膾炙した『菜の花や』の句においてさえ、月と日の間にきわまる大空は、そうした存在の裂け目であるとも読めてくる。そして無はあるということの逆説が、蕪村においても成立している。ハイデガーは、たしか、現存在としての人間は存在の裂け目になりうるといっていた。何によってなりうるかといえば、おそらく詩と芸術によってである。
ないということのもうひとつの性格は、それが動きを含んでいることである。つまり、あることからないことへと移動することによって、そのものはないものとしてあることになる。その動きそのものは、ないということに含まれているから、その動きの起点であった<ある>ということも、また、<ない>ということに含まれているのである。『牡丹散て打かさなりぬ二三片』においては、まさにそのような存在的動作が句の生命である。ピュシスやポイエシスというハイデガーの使うギリシャ語の原初的意味は、このような句においてこそ生気を帯びてくる。さらにハイデガー流にいえば、それは顕われと隠されの同時的な生起である。
蕪村の句を注意深く見ると、このようなかすかな動きを捉らえたものの多いことに気づく。ふたたびいくつかを句集から採りあげてみよう。蛇足ながらくりかえせば、それらは写生にとどまるはずのない、ものの実相の把握と造形であろう。
うめ散や螺鈿こぼるゝ卓の上
足よわのわたりて濁るはるの水
春雨や小磯の小貝ぬるゝほど
陽炎や名もしらぬ虫の白き飛
畑うつやうごかぬ雲もなくなりぬ
つばくらや水田の風に吹れ貌
うつゝなきつまみごゝろの胡蝶哉
さてこのように、いざ拾いだしてみると際限がないのであり、春の句のそれもごく一部だけで引くのはあきらめよう。また、これらの句をいいあらわすのに、豪奢、清新、優艶、端麗、寂寞、精緻など形容句も並べつきない。そしてこのように蕪村句を読むことは、そのハイデガーの存在に関する思考との類縁性を感じざるを得ないにもかかわらず、一体に喜びである。ハイデガーは存在を問うことにおいて芸術と詩に多くを負っており、それを技術と現代文明に対する批判にも深く結びつけているのだが、かれが読み解く作品の多くはヘルダーリン、リルケ、トラークルのそれであって、深遠かつ重厚ではあっても知覚と想像の喜びに人を導くのははるかに蕪村句の方である。その意味で蕪村の句は、むしろハイデガーが探求した原初的ギリシャ哲学の方に近いのかもしれない。そこでは存在も自然も芸術も、ひとつの語であったという。
今となってはないものねだりであるが、私にはハイデガーがサッポオ、イービュコス、アナクレオーン、シモーニデースのような古代ギリシャの抒情詩人をより多く読んでくれていたらと願う。これらの詩人たちを畏敬したのは、たとえばアメリカを逃げてヨーロッパに暮らしたエズラ・パウンドであり、そのパウンドは<イマジズム>によって深く蕪村の流れをも汲んでいる。かれは冒頭のぼたん句を含めて相当数の俳句を(英訳で)読んでいた形跡があり、その後かれは俳句の美学を「重層法」と表現している。おそらくもうひとり、古代ギリシャとパウンドを介して蕪村とハイデガーを結びつけるのは『旅人かへらず』の詩人、西脇順三郎であろう。いや、むしろ私にとっては、それらの中心に蕪村がいると言うべきであり、その詩と芸術こそが、時空のへだたりを越えて類似した他の存在を呼び込み結びつけるのである。
それにしても、蕪村はたしかにこれらの句を吟じ創造したのであるが、同時に、たとえばぼたんならぼたんの存在の方が、蕪村をしてその句を生じせしめたとも思えてくる。詩人はそこで、むしろ存在を聞き入っていたのであり、それに応えて存在の方が詩人を介して作品の形にみずからを現わす。いわばぼたんのぼたんであることが句において立ち昇ってくる。そして、このような美学を存在への問いに沿って提出したのも、またハイデガーであった。いわば積極的受動性ともいうべき態度で、現われようとして隠れる諸存在に囲まれながら、それらがひそかに生起する明るみの場所であらんとする者、いいかえれば「存在の牧者」、その最たるものが詩人である、と。
おわりに、そのような牧者でもあった蕪村の句をもうひとつ読もう。それもまた春の句であるが、現代の季節感では冬といってもいいと思われるひとつの句。そこでは否定辞<ない>ではなく、むしろ、<ある>が使われているのだが。
几巾きのふの空のありどころ
高くひとつの凧があがっており、その空を詩人は見上げている。そこは今日の空であるのだが詩人はそれを昨日の空の在りどころという。きのうの空は今は無い、凧はただ今日の空に泳いでいるだけなのに、そこに在るのはまるできのうの空のようだと詩人はいう。しかも、その空がないのだとしても、その在りどころだけは求めざるを得ない。そこではきのうと今日と、さらに遠いきのうも交差する、まさに「存在と時間」であり、あるいは俳句という詩形をその開示の場所とする「存在とことば」である。いまここにいる私という現存在の範囲を越えてことばは存在している。存在を問うことは追想することだともハイデガーは述べた。その場所から永遠へとつながる存在の裂け目が、蕪村のその空であろう。人間が家にいることのできる存在の棲み家へと、その空はつながっている、詩ということばによって。
そして後年のもうひとりの詩人、蕪村ともパウンドともその詩質において深くつながる萩原朔太郎は、俳壇宗匠たちによれば季語の大いなる誤解のもとに、『郷愁の詩人与謝蕪村』において、この句を次のように解した。
「北風の吹く冬の空に、凧が一つ揚っている。その同じ冬の空に、昨日もまた凧が揚っていた。蕭条とした冬の季節。凍った鈍い日ざしの中を、悲しく叫んで吹きまく風。硝子のように冷たい青空。その青空の上に浮んで、昨日も今日も、さびしい一つの凧が揚っている。飄々として唸りながら、無限に高く、穹窿の上で悲しみながら、いつも一
つの遠い追憶が漂っている!」